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当時経営難にあった旭山動物園を数々のアイデアで成功に導いた元園長・小菅正夫さんによる全4回のコラム連載です。小菅さんは今回の連載を通じて、このように伝えています。
日本の動物園が、従来の娯楽施設としての動物園から脱却し
野生動物のためにも役に立つ動物園へ向かって舵を切るよう働きかけていきたい
日本と世界では動物園の成り立ちや目的が少し異なり、近年その差はどんどん広がっているそうです。人と動物の双方にとって「良い動物園」とは何なのか、小菅さんのコラムから考えてみませんか(今回は全4回のうちの第1話)
目次
第1話 戦前から現在までの動物園
みなさんは、動物園へ行ったことがありますか?
どこの動物園へ行きましたか?
一度も行ったことがない人もいることでしょうが、「子どもの頃、近くの動物園へ行った」と答える人も多いと思います。
日本には、たくさんの動物園があります。日本動物園水族館協会(以下JAZA)に加盟している動物園だけで、2022年度は、90箇所の動物園があり、そこに3,866万2,723人もの人々が訪れています。でも記録を調べてみると2000年には99園が加盟しており、最多入園者数は1991年の6,565万1,026人になっていました。
つまり、20年ちょっとの間に動物園の数も利用者の数も徐々に少なくなってきたことが分かります。でも少なくなったとはいえ、日本にある動物園の数は世界的に見ても多く、面積当たりに換算すると日本は世界一の動物園大国ということになるそうです。
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1-1 日本の動物園の歴史
それでは、どのようにして、日本が動物園大国になったのかを見てみましょう。
日本の動物園として初めて設立されたのが、東京都恩賜上野動物園で1882年(明治15年)のことでした。その後京都市動物園、大阪市天王寺動物園と続き、大都市を中心に次々と動物園が造られていきました。1939年(昭和14年)に設立された日本動物園協会の設立総会には12の動物園が出席しています。
1-2 戦時中の動物園
その後、太平洋戦争の戦況が厳しくなる1943年以降、空襲によって動物舎が破壊され、大型動物や猛獣などが逃げ出して市民に危害が及ぶことを心配し、日本各地の動物園でゾウやライオンなどの殺処分が行われました。記録にあるだけで150頭以上の動物が犠牲になったのです。実際には、まだまだ多くの動物が殺されていったと考えられます。また、餌不足でも多くの動物が死亡し、動物園から人々の姿は消えていきました。現在もそうですが、動物園は、戦時下では存在できません。“動物園は、平和そのもの(古賀忠道上野動物園長)”なのです。
1-3 戦後の動物園
それでも、戦禍をかろうじて生き残った動物がいました。中でも有名なのは名古屋市東山動物園のアジアゾウ「エルド」と「マカニー」です。子どもたちの願いを叶えるために、多くの人々が、なんとかして2頭のゾウに会わせようと奔走し、GHQの許可を得て、1949年にゾウ列車が運行されたのです。この話は、「ぞうれっしゃがやってきた」という絵本にもなったので、ご存じの方も多いと思います。
また、子どもたちから“上野動物園にゾウがほしい”との手紙を受け取ったインドのネルー首相は心を動かされ、1頭の雌ゾウ「インディラ」を贈る決断をしたのです。そして1949年9月25日インディラは上野動物園に到着して多くの人々から歓迎されたのです。
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そして、このインディラはライオンやサルなどと一緒に、1950年の4月から10月にかけて、静岡から東北、北海道を巡り歩き各地で大歓迎を受けたのです。このことが戦後の動物園ブームのきっかけとなったのかもしれません。もしかしたら、“動物園と言えばぞうさん” というイメージはこの頃につくられたのかもしれません。
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1-4 動物園ブームの到来
戦前からあった動物園の他に、全国の地方都市でも新たな動物園が1950年の高知市を皮切りに15年間で36園も建設され、第一次動物園ブームとなったのです。では、誰が動物園を建設したのかというと、それは各地の市長さんでした。
「わが市の子供たちが遠くの動物園へ行くのは可哀そう。うちの市にも動物園を作ろう」という発想でした。そして、多くの市民がそれを支持したのです。36動物園のうち、自治体立(以下、公立)が30園、私立は6園となっており、公立が83%を占めていました。
当時の動物園の設置者に「動物園とは何か」という基本的な考えはおそらく無く、当時の動物園とは“人々が動物を見て楽しむ所”というものだったのだと思います。
今でも自治体が新しく何かを作ろうとした時、自ら発想するのではなく「先進地視察」と称して、すでにある立派な施設などを訪れ、そこを参考にして作り上げてしまう傾向にあると思いませんか。動物園もその典型で、多くの地域に“ミニ上野動物園”ができあがっていったのです。
1-5 第二次動物園ブームではサファリパークも
そして次のブーム、1965年~1979年までの15年間で建設された20カ所の動物園は、公立13園、私立7園でした。1976年に開園した九州自然動物園が、日本に初めてサファリパーク方式を取り入れて開園したのです。檻の中にいる動物を見るのではなく、動物たちが自然に暮らす中へ、人間が自動車という”檻”に入って動物を観るという斬新な形態が評判となり、この間に6カ所ものサファリパークが登場しました。それが私立動物園の増えた理由です。このようにして、日本各地に数多くの動物園が建設されてきたのです。
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みなさんは、動物園って何ですか?と聞かれて、すぐに答えることができますか?次回は「動物園の名付け親は福沢諭吉」というお話から始めたいと思います。
寄稿者profile
小菅正夫(こすげ まさお、1948年-)
略歴
1948年 札幌市生まれ
1973年3月 北海道大学獣医学部獣医学科卒業
1973年4月 旭川市旭山動物園 獣医師
1986年4月 旭川市旭山動物園 飼育係長
1991年4月 旭川市旭山動物園 副園長
1995年4月 旭川市旭山動物園 園長
2009年4月 旭川市旭山動物園 名誉園長
2010年3月 旭川市 退職
2010年7月 中央環境審議会委員
2010年8月 北海道大学客員教授
2015年10月 札幌市環境局参与(円山動物園担当)
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公職
(社)日本動物園水族館協会会友
環境省希少野生動植物保存推進員
地球いきもの応援団
著書
・ゴリラは戦わない(中央公論新社)
・もしもあの動物と暮らしたら!?(新星出版社)
・動物が教えてくれた人生で大切なこと(河出書房)
・僕が旭山動物園で出会った動物たちの子育て(静山社)
・いのちのいれもの(サンマーク出版)
・あさひやま動物記① ②(角川つばさ文庫)
・15歳の寺子屋 ペンギンの教え(講談社)
・旭山動物園革命(角川書店)
・戦う動物園(中公新書)
・生きる意味って何だろう(角川書店)
・親が子どもに伝えたい『環境』の授業(角川書店)
・オオカミの森 旭山動物園物語(角川書店)
・動物園は雪のなか(農文協)