
目次
1.壮大なヒトと野生動物の関係の歴史
長い地球の生命誌の中で私たち人類は、DNAの解析研究で6万年前にアフリカ大陸から誕生し、陸路や海路を経て時計回りに世界中へ広がり、日本には4万年前に、北米には1万3千年前に到達し、そして南米へと移動していったことが類推されている。
ヒトも動物の一種としてあることは多様な化石や現存する動物と比較しても間違いない。
そのヒトという動物も、命をつなぐために何かを食べ個体維持し繁殖して種族維持を繰り返してきた。
この6万年の間にヒトは食糧確保のために狩猟、採集をし、やがて畜養から畜産、農耕と安定的に食料を確保するための知恵を獲得し、人口の拡大、定住、都市、国家という社会構造を得た。
また野生動物との関係も、家畜から愛玩動物へと管理する能力をほぼ同時期に得たのだろう。それらに比べれば、動物園などの飼育展示の歴史文化はわずか200年ほど前でしかなく、そこまでにヒトは動物虐待や植民地政策、人種差別などの暗い過去を経てきた。
私は学生たちに、こんな壮大なヒトと野生動物の関係の歴史を紐解きながら「ヒトは野生動物と同じか」と問う。
すると、多様な価値観、自然観、生物倫理観などの尺度から「ヒトが上位、野生動物が上位、違いはなく同等」などと意見が見事に分かれる。
私は「ヒトは動物(ペット、家畜、野生動物など)を飼育する能力を得た動物の一種」と説いているが、主観はそれぞれなのでそれを押し付けてはいない。
ヒトが動物を飼育する意義も、自分がどの立ち位置から動物に接しているかで変わるため、飼育の意味や意義にも正解はないと伝えている。
2.名前をつけることの意味と背景
さて、前段が長くなったが、今回のテーマは「擬人化」である。擬人化の意味は簡単に述べると、「人間でないものを人間に見立てて表現すること」だ。
では、私たちヒトは前段の野生動物としての関係性の歴史の中で、いつの頃に「動物を擬人化」することを始めたのだろうか。
動物を飼育する行為の獲得を家畜やペットからと見た場合、そこで起きた最初の擬人化は、ヒトに名前があるのと同じように「動物名でなく個体ごとに固有の名前を付ける」ことではと私は思っている。
この投稿を読まれている方も自宅で飼われているイヌやネコに名前を付けて呼んでいるに違いない。
また関係されている動物園や水族館でも、飼育動物の多くに名前を付けて個体識別しながら、それぞれの個性を確認して健康管理し、施設の利用者にもその個体に愛着を持って認識してもらうことも目的に愛称としての名前を呼んでいるものと思われる。
では、ペットに名前を付けることと動物園動物に名前を付けることは同じとみていいのだろうか。

3.ペットと動物園動物に名前をつける違い
一般に動物園水族館では、飼育動物の「擬人化」は忌諱される。
例えば、衣装を着ける、楽器を弾かせる、躍らせる、絵を描かせる、野生化では見られない行動を導くなど、かつてはサーカスであったような玉乗りや火の輪くぐりなどはもってのほかの行為だ。
であるならば、なぜ「名前を付けて呼ぶ」ことは許されるのであろうか。
私はこの質問を動物園の飼育係に問うと、前述のように、個体識別や健康管理という飼育側の都合だけでなく、利用者の名前で呼びたいという要求があるためにも必要だという説明が返ってくる。
私は「それって擬人化ではないか」と問うと、烈火のごとく「私たちは愛情をもって飼育している動物なので名前抜きは考えられない」と反論される。
冷静に考えて、私は個体識別や健康管理のためであれば、記号や番号で目的は果たせると考えている。
例えば、ペンギンなどの鳥は足環の色の組み合わせで管理できている。野猿公苑の猿も一見名前は付いているが、実際は顔面の刺青で識別されている。となれば、あとは利用側の視点だが、これも私の経験から、大型水槽に収容している特徴的なサメに、個体管理の必要性もあったことから館が入手した順に番号で呼ぶことにした。
長年、利用者には「このサメは〇番の個体でここに傷と模様がある」と説明を繰り返した。
すると利用者から「今日は〇番が餌を食べなかったですね」と、利用者が番号で個体を呼んでくれるようになったのだ。
まさに個体番号が固有の名前として認識してもらえた瞬間であった。
飼育動物に愛情を注いで飼育していることは動物園水族館で差はないが、「固有の名前を付けること」が愛情表現の1つとして動物園飼育係に定着するのは再考すべきではないかと考えている。
4.科学的視点から見た個体識別のあり方
本コラムの第2回で私は「動物園水族館は動物取扱業か?」とかなり憤った原稿を書いた。
つまり、動物園水族館はペットショップと同じであってはならないのである。
まず当事者がこことの差別化を図らなければ、まず永遠に動物取扱業から脱却は難しい。
そして博物館であれば、自然系博物館として展示資料(動物)に記号や番号で扱い、常に科学的な視点で接し利用者にサイエンスリテラシーを涵養していくという姿勢をみせたい。
動物園動物は飼育係のペットではない。利用者の動物観、自然観を育むための博物館としての動物の個体識別の在り方を示すべきだろう。
5.サイエンスが支える“新しい擬人化”のかたち
関東に近い某水族館では、動物の名称おろか、館内の解説にイラストや漫画表現さえNGで、また漫画のような吹き出し解説も許可しないという徹底した施設を知っている。
一方、私事で恐縮だが、拙著「魚のつぶやき@東海大学出版会」は、もしも魚が会話出来たらきっとこんなことをヒトに伝えたいに違いないだろうと推測して書いたものである。
魚も長年付き合うと泳ぎや体色、行動に喜怒哀楽が出る。
ただそこを代弁したかっただけなのだ。
そんな中、直近の研究で鳥の鳴き声に会話や言語があるという研究者の報告を耳にした。
我が意を得たりという報告だが、この研究がさらに深まることで鳥の鳴き声の意味を言語化した動物園の展示解説が生まれるだろう。
これこそサイエンスであり、博物館としての動物園水族館が見せる(魅せる)「擬人化」であるに違いない。
寄稿者profile
略歴
1953昭和28年 大分県生まれ
1976昭和51年 東海大学海洋学部水産学科卒業
1976昭和51年 大分生態水族館(マリーンパレス)入社
1988昭和63年 海の中道海洋生態科学館(マリンワールド海の中道)入社
2002平成14年 福岡大学非常勤講師
2004平成16年 国立民族学博物館客員教授
2004平成16年 海の中道海洋生態科学館館長
2005平成17年 博士(学術)東海大学海洋教育における水族館の役割に関する研究
2007平成19年 文部科学省学芸員の養成に関するワーキンググループ委員
2015平成27年 福山大学生命工学部教授
2019平成31年 海と博物館研究所設立同所長
2019平成31年 文化庁博物館部会委員
2021令和3年 福岡ECO動物海洋専門学校非常勤講師
2024令和6年 船の科学館特任学芸員

著書(共編・共著含む)
- 博物館をみんなの教室にするために(高稜社書店)
- 博物館学講座10巻、13巻(雄山閣出版)
- 魚のつぶやき(東海大学出版会)
- 水族館の仕事(東海大学出版会)
- 海のふしぎ「カルタ」読本(東海大学出版会)
- 居酒屋の魚類学(東海大学出版会)
- 47都道府県・博物館百科(丸善出版)
- 動物園と水族館の教育(学文社)
- 海の学びガイドブック社会教育編(大日本図書)