人と動物の「ためる」と「わける」【ためる編】

1.「ためる」動物たち

多くの動物は食べ物を貯めます。これは「貯食(ちょしょく)」と呼ばれる行動で、特に季節の変化や食料の不足に備えるために行われます。

動物が食べ物を貯める行動は、冬など食料が得られない時期に備えて気候の変化に対応するためであり、また、縄張りの中で安定的に餌を確保するための生存戦略の一つでもあります。さらに、こうした行動には記憶力や空間認識力が必要で、たとえばリスやカケスなどは、自分が貯めた場所を正確に覚えておく能力を持っています。

寒冷地では冬眠や冬ごもりをする動物が多く、事前に脂肪を蓄えるだけでなく、物理的に食料をため込むことで、厳しい自然界の中で生き抜くのです。

動物どこにどうやって貯めるか備考
リス地面に穴を掘って埋める/木のうろなどに隠す木の実などを秋に貯めて冬に備える
ヤマネ木の隙間や地中に食べ物を蓄える冬眠前に脂肪と食料を準備
キツネやオオカミ土中に獲物を埋める必要以上に獲ったときなどに
カケスやカラス類土の中・樹皮の隙間に木の実や食料を隠す賢く、位置を記憶して回収する
ハムスター頬袋に入れて巣に運び、ため込む巣穴にたくさん貯蔵する習性がある
ミツバチ蜂の巣に蜜を蓄える冬の栄養源としてハチミツを保存
アリやシロアリ地下に菌や種子を蓄積・育てる種類によっては農業的な貯食も

動物は、ただ食べ物をためるだけではありません。

リスやカケスがかくしておいたドングリのうち、忘れられたものが芽を出し、新しい場所に木が育つことがあります。ミツバチも、花の蜜を集めるときに花粉を運び、植物がタネをつくるのを助けています。集めた蜜は「はちみつ」になり、自分たちの食べものになるだけでなく、クマや人など、他の生きものの食べものにもなります。

2.「ためること」を始めた人類

人類が積極的に自分たちの食糧を貯めるようになったのは、穀物の栽培が始まってからだと考えられています。狩猟や採集を中心とした暮らしでは、日々の食料を自然の中から得て生活していましたが、農耕の始まりによって、人類は自らの手で安定的に食料を生み出し、保存することができるようになりました。

農耕への移行は、生活様式だけでなく、人口構造にも大きな変化をもたらしました。それまで数年に一度だった出産間隔が、年に一度程度と短くなり、多くの子どもを育てられるようになったのです。結果として、生産人口が増え、より多くの農地が開拓され、さらなる穀物の増産が可能となりました。

世界各地では、地域ごとに異なる作物の栽培が始まっています。たとえば、小麦や大麦は紀元前8500年頃に中東で、米は紀元前8000年頃に中国南部で、トウモロコシは紀元前7000年頃、さつまいもは紀元前4500年頃に中南米で栽培されるようになりました。

また、農耕と並行して、野生動物の家畜化も進められました。羊は紀元前9000年頃、牛は紀元前8500年頃、豚やヤギは紀元前8000年頃に、中東から中国南部にかけての地域で飼育が始まりました。これにより、人類は肉や乳、皮革といった資源を安定して得ることが可能になりました。

このようにして、人類は農業と牧畜を通じて、安定した食料供給を手に入れました。その結果、人口は爆発的に増加し、大規模な定住生活が可能となり、集団で暮らす人の数も大きく増えていったのです。

3.「ためること」の先にあるもの

安定した農業生産によって集落が発展し、人々はより大きな共同体の中で暮らすようになりました。そうした中で、料理、衣装、住まいといった暮らしに関わる文化も少しずつ発展していきました。やがて、集落の中では人々の役割に違いが生まれ、農業だけでなく、建築や衣装づくりなどを専門とする人たちも現れます。また、社会の中に「治める者」と「治められる者」という関係が生まれ、集団をまとめるための仕組みも必要になっていきました。こうして、農業を基盤とした生活の中から、多様な文化と社会のしくみが育まれていったのです。

食糧を貯められるようになると、人々には新たな心配が生まれました。それは、自分たちの大切な食糧が他の人に奪われてしまうことです。この不安から、集団の中には外敵から仲間や食糧を守る「兵(つわもの)」のような役割を持つ人々が現れました。

やがて、より安定した食糧を求めて、一部の集落は他の集落に戦いを仕掛けるようになります。こうして、人類はこの時代に「戦争」を始めたと考えられています。

戦いに勝った集落は領土を広げ、人口も増え、集団をまとめる「統治者」の力も大きくなっていきました。それにともない、集落の中では役割分担が進み、文化もさらに豊かに育っていきます。戦争のための武器を作る人々も現れ、征服は繰り返され、集落はやがて村から都市へと発展していきました。

狩猟生活では、世界の人口が約100~500万人でした。それが植物の栽培、つまり農業が始まり、500~2000万人まで増えました。都市国家が生まれたころには、約1400万人~2500万人まで増加しました。紀元1年の頃には約2億人まで増加した人口は、18世紀には10億人にまで膨れ上がり、産業革命を契機にさらなる人口爆発があったのです。

年代推定人口主な出典・根拠備考
紀元前10,000年(農耕前)約100万~500万人McEvedy & Jones(1978)、USCB狩猟採集が中心、定住はごく一部
紀元前5000年(農耕初期)約500万~2000万人USCB(アメリカ国勢調査局)、Biraben中東・中国で農耕が本格化、人口増加
紀元前3000年(都市国家の出現)約1400万~2500万人McEvedy & Jones、Biraben、Wikipediaメソポタミア・エジプト・インダス文明の発展
紀元前1000年(鉄器時代初期)約5000万人Angus Maddison(OECD)、Biraben文明圏の拡大、農耕地の増加
紀元1年(ローマ帝国全盛期)約2億人Maddison、USCB、McEvedy & Jones中国・ローマ・インドなどで人口集中
1000年(中世)約2億6千万人Maddison、Durandヨーロッパでは封建制、アジアは安定
1500年(大航海時代)約4億~5億人Maddison、Durand、UNデータ新大陸との接触、人口分布に変化
1800年(産業革命前夜)約10億人UN Historical Estimates、Maddison工業化直前、農業技術の進歩が人口増を支える
1900年(近代化)約16億人国連、Maddison医療と衛生の向上により急増
1950年(戦後復興期)約25億人国連統計(UN World Population Prospects)世界的な人口爆発の始まり
2000年約60億人国連(UN)開発途上国の人口増加が主因
2024年(最新)約80億人国連人口基金(UNFPA)、Worldometerインドが中国を抜き人口最多国に

4.変化していく「ためるもの」

初期の農耕社会では、穀物の貯蔵こそが富の象徴でした。人々が育てた食物は、集団の中心にある穀物倉で統治者(王)によって管理されていました。貯蔵された穀物は、他の作物や家畜、さらには集団を守るための武器など、生活に必要なものと物々交換されていました。

しかし、物々交換には課題がありました。物によって価値に差があったり、食料が腐ってしまったりすることで、交換や分配の効率が悪くなってしまったのです。そこで、人々は次第に「価値の基準」を必要とするようになり、貝殻、家畜、金属といったものが交換の代替物として使われるようになりました。

やがて、銀や金などの貴金属が、保存性や希少性に優れていたことから、通貨としての役割を担うようになります。こうして「財産=穀物」だった時代から、「財産=お金」へと価値の捉え方が変わっていったのです。

人類が「ためる」行為を行うのは、進化の過程で培われた本能とも言えます。それは、将来への不安に備えるため、社会的地位を守るため、安全を確保するための行動でした。はじめは生きるための食糧を貯めていた人類は、やがて交換を通じて価値の感覚を育て、「お金」という共通の基準を生み出し、それが社会の基盤となっていったのです。

一方で、人類はお金だけでなく、自分たちがまだ見たことのないもの、珍しいものを「ためる(集める)」ことにも夢中になっていきます。貴金属、宝石、香辛料、異国の動物や植物などは、興味、権威の象徴、征服の証として扱われました。

このように、人類にとっての「ためる」という行為は、生きるための備えから始まり、やがて文化、権力、欲望を示す行動へと変化していったのです。

種類ためた目的具体例
食料生存・交換穀物、塩、干し肉、はちみつなど
動物労働力・繁殖・財産牛、羊、豚、馬、鶏など
植物食料・薬・嗜好香辛料、茶葉、薬草など
金属価値保存・権力金、銀、銅、鉄など
宝石富・権威・宗教ルビー、エメラルド、翡翠など
芸術品権威・文化・精神性壺、仏像、織物など
不動産安定・世代継承土地、住居、神殿など
情報知識・技術の保存書物、粘土板、巻物など

5.「ためること」で満足を得られない人類

人類は、もともと小さな村で暮らしていましたが、次第に都市へと発展し、やがて国家をつくるようになりました。国家ができたあとも、人々はより多くの資源や影響力を求めて、他の国を侵略したり、植民地として支配したり、戦争を起こしたりしながら、領土を広げてきました。

こうした争いは次第に規模が大きくなり、国や大陸を超えて広がっていきました。そして20世紀には、第一次世界大戦と第二次世界大戦という、これまでにない大規模な世界戦争が起こりました。これらの戦争によって、多くの命が奪われ、人類は大きな被害と深い悲しみを経験しました。

この反省から、1945年には「国際連合憲章」が採択され、国家間での武力による威嚇や武力の行使は禁止されました。また、「国際人道法(武力紛争法)」によって、兵器の使用や戦い方に関するルールも整えられました。たとえ戦争が起きてしまったとしても、無差別な攻撃や、一般市民への被害をできるだけ防ぐための国際的な仕組みが作られてきたのです。

しかし、そのような努力が続けられているにもかかわらず、世界では今なお戦争や武力による争いが起きています。一度戦争が始まってしまえば、負けた国だけでなく、勝った国でさえ、人々の命や暮らし、文化や信頼など、多くの大切なものが失われてしまいます。そしてそこには、必ず深い悲しみが残ります。

それでも、戦争は完全にはなくなっていません。このことは、現代を生きる私たちすべてにとって、とても深刻で悲しい現実だと言えるでしょう。

一方で、資本主義経済が進む中で、さまざまな企業が生まれ、「利益を出すこと」が経済の中心になっていきました。産業革命以降、技術の進歩や大量生産が進んだことで、世界の経済成長は大きく加速しました。企業が利益を上げれば、それによって雇用が生まれ、社会にも活力が生まれます。しかしその一方で、所得格差の拡大、資源の使いすぎ、環境の破壊、そしてストレスの多い社会といった新たな問題も生まれてきました。

今では子どもたちも、小さなころから「良い大学に入り、良い会社に就職すること」が目標となり、激しい競争社会の中で育っています。社会に出てからも、今度は会社の中での競争が始まります。さらに結婚して家族を持ち、家を建てるときにも、「できるだけ良い地域で、良い家を建てたい」と、周りと比べながら選ぶのが当たり前になっています。

このようにして、人々は経済的な豊かさ、社会的な地位、世間からの評価といった「目に見える価値」を追い求め続けています。しかし、どれだけ手に入れても、常に「もっと上」が存在するため、本当の意味で満足することは難しいのです。こうして多くの人が、他人や他国、他の会社と自分を比べながら、自分の価値を決める時代が長く続いてきました。

果たして、このような「他人との比較」の先に、本当の幸せはあるのでしょうか?
たしかに、何かを手に入れた瞬間には、満足感を得られることもあるかもしれません。しかし、それは長く続くものではないのかもしれません。