【前編】自分が理解できて、自分が「できる」と思っていないことがしたい。山田貴之インタビュー

交流・景観・建築デザインの力で“感動”を演出するために、企画から事業計画・運営までトータルにプロデュースしている株式会社TONZAKOデザインが贈る、仕掛け人インタビューのコーナーです。
まずは、TONZAKOデザインのメンバーのインタビューからスタートします。仕掛け人たちと共に、感動体験をつくるメンバーたちの個性を感じとっていただけたら幸いです。

クリエイターインタビューNo.2(前編)

「ランドスケープデザイン」の松崎氏と倉方氏、「建築設計」の山田氏、「事業デザインから施設運営」の小森氏。その4人が立ち上げたTONZAKOデザイン。まだ設立1年だが、いろいろな相談が持ち込まれています。そこには言葉にできない不思議な魅力があります。その魅力を探るべく、立ち上げメンバー4人の経歴や考え方、何を考え、どこに向かおうとしているのか?また、プライベートも少しお届けします。

スペースクリエイター 山田貴之 Takayuki Yamada[前編]

取材日:2020年5月13日

前編~目次~
狭くなりたくはないんですよ。
デザインというのは可能性や発想を提供すること。設計は責任がある上での決断や指針を示すこと
実は一度も正社員で働いていないんですよ(笑)
個人で切り盛りする限界を感じたんです。

狭くなりたくはないんですよ。

建築家の世界はどうしても固くなりがちです。「自分が正しいと思うこと」「正解だと思うこと」を提案することの繰り返し。自分の理解できる範囲で、垣根の中で仕事をしている。
だけど自分ができる範囲って、実はとても狭いんじゃないかなと思っています。想像し得ないようなずっと向こうに、実は可能性が広がっているんじゃないか。だから狭くなりたくない。自分が理解できて、自分が「できる」と思ってないことがしたい。

ずっと、もどかしく思っていました。建築設計の仕事をしても、いつかは「あとはよろしくね」と引き渡し、手放すしかない。使い手の意見を聞いて、より良くアップデートできるような機会はなかなかありません。

TONZAKOデザインでは、建築設計よりずっと前段階から仕事が始まります。事業計画から練り、建築とランドスケープをトータルで設計&提案。そして運用後には手厚いフォローで使い切る所までトータルに提案できます。

専門領域が異なる3人から出てくる企画案は「意外」の連続。その相乗効果で自由な発想がどんどん加速します。

  • 建築設計
  • ランドスケープ
  • 事業デザイン

この3つが絡まりながら、プロジェクトごとに変化します。3つを隔てる垣根はありません。専門範囲が異なる4人だからできること。4人の個性の賜物です。

デザインというのは可能性や発想を提供すること
設計は責任がある上での決断や指針を示すこと

自分は「設計する人」だと認識しています。クリエイターはもっと広い範囲で仕事する人を指すイメージ。設計に特化したクリエイターっていうのが今の状態かな。

設計とは何か。それは「決める」ことかなと最近は思っています。最終決断をするのはお客様。お客様が決断しなきゃいけないことはたくさんあります。お客様が自信を持って決断できるよう、設計はそっと導いてあげる。情報提供とは少し違います。そしてあんまり強引に導くと、色んな問題が生じます(苦笑)。

「設計」を英訳すると「desing」ですが、2つの言葉は同じ意味ではありません。デザインとは可能性を形にすること。より良い発想を相手に提供するのがデザイン。設計とは、責任を負って指針を提示することかな。指針を示し、相手方に納得してもらえるように根拠の筋が通っている。それが大事な気がしますね。

TONZAKOデザインは、設計もデザインも手がける集団。提供できる範囲が広く、デザインの前段階から創っていけるのが強み。一度形にしたことも、その後、柔軟に変化し続けられます。

実は一度も正社員で働いていないんですよ(笑)

大学は建築学科を卒業しました。実は特別に憧れていた業界でもなく(笑)。高校時代に自分がやれることを考えたら一番ここが良いのかなと。授業で一番面白かったのは設計の授業。与えられた課題に対し、解決するためのアイデアを練り、提案して、図面を書いて、広くプレゼンして。今やっている事の始まりですね。全てここから始まった感じです。

就職はさっぱり(笑)。先生からは「設計事務所に行くなら東京へ行け」と言われたものの、それも嫌だったので。とりあえず卒業後は半年ひと休みして、それから名古屋の設計事務所で1年間アルバイトをしました。もっと大規模物件を経験してみたかったんです。

当時は大手設計事務所でも、個人が外部スタッフとして出入りできていた時代でした。それで大手事務所の外部スタッフに潜り込み(笑)、さまざまな物件に係わることに。4年ほど、大きな物件を経験させてもらいました。そのころ、同じ事務所に出入りしていた先輩と一緒に住宅設計も開始。それから一級建築士の資格を取り、2年ほど在宅で仕事を請け負うことに。やがて独立し自分の事務所「山田貴之建築設計事務所」を開きました。結局、一度も正社員で働くことなく独立しました。

独立後に前職の事務所から「戻ってきて欲しい。2年ぐらい腰を据えて仕事してみないか」と声をかけていただきました。それが都市のとても大きな公園施設。これは大きなチャンス、将来は子どもにも自慢できるような仕事でした。文字通り寝ずに働き、着工寸前まで漕ぎ着けたものの、政治的な事情から企画は大幅変更に。結局仕事は立ち消えになりました。悔しかったですね。

個人で切り盛りする限界を感じたんです。

立ち消えになった公園施設の仕事は、今から10年前のこと。当時の経験や人脈が今に繋がっています。松崎と出会ったのも、この仕事の時。松崎は当時ランドスケープの会社に勤めていて、それぞれの立場から同じ物件を一緒に手がけました。第一印象は、不思議と気が合う感じ。仕事が終了した後もお互いに連絡を取り合う関係になり、「また一緒に仕事をしよう」とよく話をしました。松崎はその後、ランドスケープ設計の会社を興していました。

自分は事務所を法人化するタイミングを探していました。松崎からはずっと声をかけてもらっていたし、数年前には松崎の会社と一緒に仕事したこともありましたが、自分の事務所が終わってしまうのは嫌だけど、何か新しいものが生まれるのなら、変化しても良いかなと思っていました。

そんな風に思っていた2018年の1月。連日の激務がたたり僕は倒れてしまいました。幸い1週間で職場復帰できましたが、個人で切り盛りする限界を感じました。以前から松崎が声をかけてくれていたこと、そのころ小森も加わり「3人でやろう」と話が進展したこと、さらに倉方も加わり……。これは面白くなりそうだと思いました。そして2019年1月にTONZAKOデザインを設立しました。

仕事の内容は以前と今では随分と変わりました。変えたい気持ちがありました。周りを見渡すと個人で設計している人はたくさんいる。その外部メンバーを繋げ、自分が設計者としてだけじゃなく調整役として事業を進行させたいと思っています。

取材:川北睦子