元動物園園長が考えた「動物園の役割と未来」第3話「動物園動物の福祉」について

北九州の動物園『到津の森公園』の初代園長を務めた、岩野 俊郎さんによる全4回のコラム連載です。岩野さんはこのように言います。

このままでは日本の動物園に未来はない
なぜ動物園にゾウが必要なのでしょう

動物園の歴史と現状、その背景にある私たち日本人の心の文化。岩野さんのコラムで、これらをひも解きながら、動物園の未来について考えてみませんか(今回は全4回のうちの第3話)。

第3話 「動物園動物の福祉」について

Photo by Toshiro Iwano

3-1 人間の感覚と福祉の問題

まずお話したいのは、福祉とは弱者に手を差し伸べることだけではありません。

あんなことができないからしてあげる、こんな望みもあるはず、だからその代わりにしてあげるといったことが福祉ではないのです。

今、数多くの福祉施設は弱者に手を差し伸べ、生活の改善を行っています。確かにそのとおりなのでしょうが、人の生涯の夢とは何でしょうか。

最も卑近な例をあげれば、私たちのような年寄り(生活弱者)は何を希望に生きているのだろうかという問いに答える必要があります。またそれを実践することが「福祉」であるかも知れません。病院での退屈な日々は、例え暖かい食事であったとしても、健康を維持されていたとしても、心が満たされているとは言い難いものです。

心を満たすものは自分が誰かの役に立っているという満足感ではないでしょうか。健常者であれば好きな時に好きな所へ行け、好きな買い物ができ、好きな食事もし、仲の良い友や家族と語らうこともできます。

もし生活弱者がこのような「自由」を得ることができれば、それを「福祉」と呼んでも良いと思います。

3-2 存在感と自由

このような話を聞いたことがあります。私の友人が老人保健施設の送迎の運転手をしていた時に聞いたことです。

「施設に来る人に、まあ足腰が弱っているからマイクロバスでお花見とか良い景色と見せに連れて行くのだけど、ある方がこういったんだよね。『確かに自分では行けない所に連れて行ってくれるから嬉しいけど、もっと嬉しいのは自分自身がお店に行って品物を買うことなの。孫が訪ねてきたらあげられるしね』」。

誰かの役に立つというのが幸せなのです。更に、誰にでも自分の思いどおりにできる機会は必要だと言うことでもあります。自由を獲得すること。これが「福祉」です。病院での自由は限定的です。ですから早く退院したいと願っています。しかし退院できない人への福祉は良い食べ物ばかりではなく、豊かな人間関係と自分が誰かに役立っているという「存在感」が必要です。

3-3 動物園の動物に自由はあるのだろうか

動物園の動物への「福祉」とは何でしょうか。

今から50年前、私が動物園に入ったころにはこのような論議をする人は皆無でした。動物を「見る」自由な人と「見られる」不自由な動物。返して言えば強者と弱者、そのような関係が保たれていました。

今はどうなのでしょうか。人の福祉は大きく改善されたようですが、動物園の動物は50年前とほぼ同じ環境の中にいます。私たちは動物園という与えられた環境を当たり前のよう思っていますが、この福祉の潮流はひたひたと押し寄せて来ています。

多くの国々は動物の福祉を考え始めました。今までなかった動物園法がインドや韓国でも制定されています。日本ではそのような機運が芽生え始めたとはいえ、日本には未だ動物園法もありませんし、国民感情は水族館のイルカショーや小さな鉄檻の中の猛獣などを「見る」という行動を是としています。第一話でもお話したように、どのような変化にもきっかけもあれば流れもあります。誰がどのように流れを導くのか、それが問題です。

Photo by Toshiro Iwano

3-4 「福祉」とは自由を獲得すること

動物の福祉とは何か。特に動物園で飼育される動物の福祉は何か。誰もが心の奥底に秘めておくことは動物が「自由に生きているかどうか」。それが野生動物の「福祉」です。

「自由に生きる」というのは生態的研究に基づくほかはありません。野生下でどのように生きているのか。種によっては単独生活をしているものもあれば群れ生活しているものもあります。

最近では高等な霊長類だけでなくゾウやイルカの認知能力の研究も進み、単独飼育や捕獲方法(親の認知や子の認知)でのトラウマさえも考慮すべき対象となっています。イルカやゾウなどの捕獲時のPTSDさえも研究対象なのです。

私が動物園に入り50年経ちました。以前は全く考慮されなかったことが大きな問題となっています。まさに「福祉」の問題は歴史的変化、潮流と言えます。

誰がその流れを導くのかと問いましたが、実はそれは国民感情の変化しかないのです。皆さんが「それっておかしいよね」って言って下されば、動物園の動物の環境は劇的に変化する可能性があります。

「知る」ということは変化の第一歩なのです。

今、自分に問いかけます。「日本の動物園に未来はあるのか」。

寄稿者profile

岩野 俊郎(いわの としろう、1948年 – )
獣医師・福岡県北九州市にある動物園「到津の森公園」の前園長。山口県下関市出身。

1972年、日本獣医畜産大学獣医学科卒業。翌年、西日本鉄道株式会社到津遊園に就職。1997年、園長に就任。2000年、同園の閉園に伴い西鉄を退社。2002年、園の経営を引き継いだ「到津の森公園」初代園長となる。2022年、同園園長を退任。現在、到津の森公園名誉園長、北九州市立大学非常勤講師。

著書「戦う動物園―旭山動物園と到津の森公園の物語 (中公新書)」「動物園動物のウェルフェア Zoo Animal Welfare